受難の主日(枝の主日)

  1. 神学生(しんがくせい)のとき、(わたし)(つくえ)の上に(ちい)さなイエス(さま)(ぞう)がありました。イエス様は(すわ)って、(むらさき)(ふく)(き)て、(いばら)(かんむり)をかぶり、(あし)(ぼう)をお(も)ちになっていました。そして、(もっと)印象的(いんしょうてき)だったのは表情(ひょうじょう)でした。像は(め)(と)じて、平和(へいわ)平静(へいせい)(つた)えていました。
  1. ある(とき)(はたけ)(はたら)(ひと)が私に、子羊(こひつじ)(なぐ)っても(おこ)らない唯一(ゆいいつ)動物(どうぶつ)だと()いました。そして、イエス様は(かみ)の子羊です。(くる)しみの(まえ)では、(めい)()尊厳(そんげん)をもって対応(たいおう)なさいます。
  2. 私は苦しみに(たい)するイエス様の反応(はんのう)(あらわ)すことができる言葉(ことば)辞書(じしょ)調(しら)べました。その結果(けっか)、私は日本(にほん)文化(ぶんか)にその言葉があるのを発見(はっけん)しました。この言葉は我慢(がまん)です。「我慢」という言葉は苦しみの前での忍耐(にんたい)根気(こんき)自己監視(じこかんし)という意味(いみ)です。日本文化のキリスト教的ルーツを(しめ)一例(いちれい)です。
  3. 苦しみの前でどうしてイエス様はこのような反応(はんのう)をなさるのでしょうか。この質問(しつもん)(こた)えることで、どうして「我慢」という言葉が美徳(びとく)なのかをより(ふか)理解(りかい)することができます。ゲッセマネでのイエス様の御言葉(みことば)(かぎ)です:「アッバ、(ちち)よ、あなたは(なん)でもおできになります。この(さかずき)をわたしから()りのけてください。しかし、わたしが(ねが)うことではなく、御心(みこころ)(かな)うことが(おこな)われますように。」イエス様は父なる神の御心を行っていると知っておられるので、苦しみに我慢で(こた)えておられます。
  4. 私たちの人生(じんせい)には苦しみもあります。そして、私たちはイエス様のように、神様の意志(いし)()()げていることを知りながら、我慢をもって(おう)じることができるように神に願いましょう。
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